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東京高等裁判所 昭和51年(う)2288号 判決

裁判所書記官

照屋勲

本店所在地

東京都中央区日本橋二丁目一番一八号

日昌物産株式会社

右代表者代表取締役

倉田敬三

本籍

同都渋谷区桜丘町四番地の一六

住居

同都世田谷区中町四丁目五番二一号

会社役員

倉田謙二

明治三〇年一二月一二日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五一年九月三〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告法人及び被告人からそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官河野博出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人高橋梅夫作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官河野博作成名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一の一について

所論は要するに、原判決は、昭和四四年、同四五年中の、三幸食品及びミヅホ商事を委託先とする小口好弘名義による先物取引及び現物取引から生じた売買損益がいずれも被告法人に帰属するものと認定したが、右各取引はいずれも被告法人の常務取締役岡野鉀三が個人として行った取引であって、その損益はすべて同人に帰属するものであるから、原判決にはその点において事実の誤認がある、というのである。

そこで検討してみるのに、右岡野が、被告法人の昭和四四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度及び昭和四五年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度中に、小口好弘名義を使用し、三幸食品及びミヅホ商事に委託して雑豆類の先物取引及び現物取引を行い、昭和四四年中に五八万五〇〇〇円の売買損を出し、また同四五年中に一六〇九万三六〇〇円の売買益を上げたことは、原判決の挙示する関係証拠から明らかである。そして、原審証人岡野鉀三の証言、三幸食品及びミヅホ商事の各委託者別委託証拠金現在高帳・委託者別委託先物取引勘定元帳(東京高裁昭和五一年押第八八七号の二六、二七)、群馬銀行東京支店の預金取引内容についての回答書、丸国証券の顧客勘定元帳写その他の関係証拠を総合すると、当時右岡野は被告法人の常務取締役として被告法人の営業全般に関与する立場にあったこと、同人は右小口名義による委託商品取引に関し、三幸食品に対して三回にわたり合計一四五三万円余りの現金を、ミヅホ商事に対し五〇〇万円の現金をそれぞれ委託証拠金として預託したが、同人は、これらをすべて被告法人の簿外資金から支出したほか、同人が昭和四五年四月、ミヅホ商事との取引において委託証拠金代用証券として預託したソニーの株式及び東京電化の株式各二〇〇〇株の購入代金九七五万円もまた被告法人の簿外資金から支出したこと、前記のように、三幸食品を委託先とする取引では昭和四四年中に五八万五〇〇〇円の売買損が出たが、岡野はこれを個人の出捐によって埋めるようなことはしなかったこと、取引が完了し、右各取引先から返戻された委託証拠金及び差益金はいずれも被告法人の簿外預金口座に預け入れられたことがそれぞれ認められるのであって、これらの諸情況はいずれも、岡野がした小口名義取引が被告法人の取引であることを示すものであるというべきである。一方、証人岡野は、原審公判廷において、右小口名義取引は被告法人の簿外資金を借りて行なった自己の個人取引であり、この取引で得た利益のうち約一〇〇〇万円でソニーの株式及び東京電化の株式を購入し、これらを自己のものとする趣旨で自己の実妹にあたる右小口の妻にその株券を保管させていた旨証言するけれども、被告人の原審及び当審公判廷における供述によれば、当時被告法人の代表者であった被告人は、岡野が本件小口名義取引に被告法人の簿外資金を使用していることまでは知らなかったと認められることなどからして、被告法人が右簿外資金を岡野が個人として右小口名義取引の証拠金にあてることを承認していたものとは認められず、また前掲各関係証拠によって認められる前記株式購入の経過、株券の運用預託の状況、配当金の入金形態などにてらし、同証人の自己の個人取引である旨の証言はにわかに採用できず、また岡野が内心小口名義取引で得た利益の一部を自己のものとする意思を有していたとしても、なんら右取引の損益が被告法人に帰属すると認定することの妨げとなるものではない。したがって原判決が、前記認定のような岡野の被告法人内における地位、取引資金の出所、取引によって得られた利益の留保状況などから、本件小口名義取引による損益が被告法人に帰属すると判断したことには十分な理由があり、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第一の二について

所論は要するに、原判決は、丸神商事からのいわゆる委託手数料戻しとして社長舟橋一夫から被告人に手渡された金員を、被告法人に帰属すべき雑収入であるとして被告法人の逋脱所得に加えたが、右金員は、丸神商事ないし舟橋が、被告人の恩顧に報い、かつ今後の引き立てを願う趣旨で被告人個人に対して支払ったものであって、被告人の個人所得に帰すべきものであるから、原判決にはその点において事実の誤認がある、というのである。

そこで検討してみるのに、原審証人舟橋一夫の証言、被告人の原審及び当審公判廷における供述、その他原判決の挙示する関係証拠を総合すると、次のような事実が認められる。すなわち、右舟橋は昭和四〇年ころ商品取引所において行う穀物の売買取引の受託業務等を営業とする丸神商事を設立したが、当初、被告人が応援の趣旨で、被告法人の行う先物取引の委託注文を丸神商事に出してくれるようになり、その後、その委託注文の量がしだいに増加したこと、ところで、この業界においては、顧客の引きとめ策として、大口の得意先などに対し、一旦徴した手数料の一部を割り戻すという内々の慣行がかなり行われていること、舟橋は、被告人からそのような手数料の割り戻し要求があったので、これまでの恩義に報い、被告法人が今後とも丸神商事を利用してくれることを願ってこれに応じることとし、右業界の慣行に従い、当初は被告法人から受領した委託手数料の三割見当の金額を支払うこととしていたが、昭和四四年ころ以降は被告法人を商品取引所の会員業者なみに扱い、手数料の四割相当の金額を返戻することとし、毎月末日に手数料の額に応じて割戻しのために積立てるべき金額を計算して会社帳簿から引き落とし、これを舟橋の管理する仮名預金口座に入金しておき、被告人からの求めがある都度、被告人あるいはその使いの者に手渡していたこと、このように舟橋が被告人に手渡すために仮名預金にして積み立てた金額は、本件起訴事業年度にあたる昭和四四年から昭和四六年までの三年間で合計三七六八万円余に達し、その中から原判示のとおり合計一八五七万九九二〇円が実際に支払われたことがそれぞれ認められる。以上認定の諸情況のほか、被告人が被告法人を離れて丸神商事から前記のような多大の金員を受け取るべき同社に対する個人的寄与というべきものはなかったことなどを考え合せると、被告人が舟橋から受取った前記金員は、被告法人に帰属するものと認めるのが相当であり、右金員の授受が右両者以外の者に知らされずに処理されたという事実も、右認定の妨げとなるものではない。してみれば、原判決が以上と同旨の理由から舟橋が被告人に渡した金員が被告法人に帰属するとした判断は正当であり、原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第一の三について

所論は要するに、原判決は、青色申告の取消によって価格変動準備金等の損金算入が否認されたことにより増加した所得を逋脱所得金額に加算したが、右増加所得分については行為者である被告人に逋脱の犯意があったことを認めるに足りる証拠はなく、したがって、右所得の増加分を逋脱所得金額に加えることは許されないはずであるから、原判決にはこの点において事実の誤認がある、というのである。

そこで検討してみるのに、関係証拠によれば、被告人は本件各確定申告の時点において、脱税を行えば青色申告にともなう特典が取り消されることがあり得るとの認識を有していたことが認められるところ、右程度の認識があれば右増加所得分についての逋脱の犯意に欠けるところはないものというべきであるから、原判決が右増加所得分を逋脱所得金額に加えたことは正当であり、原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二について

所論は要するに、被告人らに対する原判決の量刑は、被告法人が当局から犯則事件として調査を受けるよりも前に自発的に修正申告をして税額を納付したことなどに照らして不当に重い、殊に、高齢で生涯なんの汚点もなく過してきた被告人に対し、執行猶予付とはいえ懲役刑を科するのは酷に過ぎる、というのである。

そこで検討してみるのに、本件は、穀物の輸入販売等を営業とする被告法人の代表者である被告人が、被告法人の営業に関し、他人名義でした雑豆の先物取引によって得られた利益の一部を除外し、仮名の簿外預金を設定する等の方法により、三事業年度にわたって合計一億三六〇〇万円余りの法人税を免れた事案であって、右のとおり脱税額が巨額で、各確定申告時における逋脱率もおよそ五割から三割程度にまで達することなどに徴すると、被告人及び被告法人の刑事責任を軽視することはできないのであって、所論のように自発的修正申告による納税の事実が認められることのほか、本件脱税の動機、誘因、所得隠ぺいの方法、更には被告人の経歴、年令、心情など、所論指摘の被告人及び被告法人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、被告人らに対する原判決の量刑が不当に重いとは認められない。論旨は理由がない。

よって刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀江一夫 裁判官 浜井一夫 裁判官石田穣一は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 堀江一夫)

○控訴趣意書

被告人 日昌物産株式会社

同 倉田謙二

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、本弁護人は左記のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和五二年一月二〇日

右弁護人

弁護士 高橋梅夫

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一、原判決には事実の誤認があってその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄されるべきものと思料する。

一、小口好弘名義による取引の帰属に関する事実認定の誤りについて

1. 原判決は昭和四四年、同四五年の小口好弘名義による定期取引並びに現物取引の利益合計金一六、〇九三、六〇〇円は被告会社に帰属するものと認定している。原判決が右の取引を被告会社のものと認定したところを要約すると

〈1〉 被告会社の簿外預金が証拠金として使用されて取引が開始されたこと

〈2〉 利益のうち一、〇〇〇万円はソニー及び東電化学の株式を購入したが、その余の利益金は被告会社の簿外預金として小口好弘名義の普通預金口座を開設して入金し、被告会社がこれを管理していたこと

〈3〉 被告人倉田の検察官に対する供述調書に、「小口名義は会社のものに間違いない。」旨の供述記載があること

〈4〉 岡野鉀三の検察官に対する供述調書の記載

の四点から、小口好弘名義の損益が被告会社に帰属するというのである。

そこで、これらの点について検討を加え、原判決の事実認定に対する疑問を提起し、当審においてさらに慎重な審理を希望するものである。

2. 先ず小口名義の取引が、被告会社の簿外預金として開始されたことには争いがない。しかし、被告会社における被告人倉田と岡野の関係からすれば、岡野個人のために倉田の好意によって取引を開始させるについて、倉田の個人的な金銭を岡野に代って与えるなどして証拠金とすることは先ずありえないことである。被告会社は、倉田の力量とこれに対する約一五年(本件利益発生当時まで)にもわたる岡野の協力によって、発展の一途を辿り現在にいたった会社である。しかも、被告会社には一時的に資金を流用するについては少しの不自由もない蓄積があった。このような場合、岡野個人に利益を得させるため、倉田と岡野の暗黙の了解によって被告会社の金を一時流用するのは資金的にも心理的にも比較的容易なことである。原判決が「むしろ岡野自身においては、それを個人の取引としようとの内心の意思を有していたのではなかったかと疑わせる余地もあるけれども」としながらも、「他に岡野と会社との間にこれら資金の流出入につき、明確な取り決め等がなされているといった特別の事情の認められない限り」岡野の内心の意思を根拠として帰属を決めることはできないとしている。しかし、別の見方をすれば、このような実体の会社では、むしろ「資金の流用混入につき、明確な取り決めがなされているといった」事情がなくとも、必要に応じて随時、倉田と岡野の了解によって、本件のような処理ができる基盤が整っているとみることもできるのである。それは、両名の会社に対する貢献度が相互に大なるが故に、一時的な会社資金の流用には、心理的な抵抗がなく、むしろ、当然のこととして、また、他の社員にとってはやむを得ないものと観念せざるを得ない実情にあったからである。我が国の中小企業では、創業者社長の実力によって企業が発展している場合は、彼に可成りの独断専行が許容されているのが実態である。本件取引が被告会社の簿外預金を証拠金として取引が開始されたとしても、右のような被告会社の実態に照らせば、それ故に取引損益の帰属が被告会社であると速断すべきではない。原判決は「岡野は当時被告会社の営業に関し常務取締役として社長の倉田と共に幅広い活動をしていた者である」と認定しているが、岡野がこのような立場にあったからこそ、かえって、倉田との間で、裏資金を自己のために流用できたと認めるべきである。

3. 次に、取引利益の保管状況であるが、小口好弘名義の普通預金口座を開設してその預金の一部を保管していたこと、しかも、被告会社の裏預金として保管していたと認めるべきもののようである。しかし、原判決が認定している右取引利益の三分の二にも相当する、一、〇〇〇万円分については、岡野が、ソニー及び東電化学の株式を岡野の妹名義で買い、これをその妹宅に保管させていた事実をどのように考えるべきであろうか。もし、岡野が右株式の取得資金となった利益が、被告会社のものと観念しているのであれば、被告会社あるいは倉田の特別依頼がある場合以外に、岡野がこのような形で株式を買いかつ保管することは考えにくい。しかし、倉田にしても被告会社にしても、被告会社に帰属する財産を、しかも被告会社の資金状況からすればわずか一、〇〇〇万円程度のものの取得と保管をわざわざ岡野に依頼しなければならない程使用すべき他人名に困っているとか、保管場所に困っていた事情は全くないのであり、岡野に頼んだとは到底考えられないし、かかる依頼をしたことを認める証拠もない。岡野は、株式は自分のものとして取得し保管する意思があったからこそ、実妹名で買い保管も妹に依頼していたと認めるべきである。このことは妹の夫である小口名義で取引を開始したことと相通ずるところであり、その利益が自分に帰属するものと確信していたことを明らかにしているのである。

また、原判決は取引利益の一部を裏預金としていたことを会社帰属の有力な事実としているが、岡野の側からすれば、これを被告会社の裏預金とするについて、相当の理由があったのである。すなわち、岡野は当時すでに倉田や、他の従業員に内緒にして個人で定期取引をし相当の利益をあげていた。しかし、岡野は、かかる事情を知らない倉田の好意で取引をはじめ利益をあげたが、自分個人の利益に上積みしてさらにこの取引利益全部を自分の所得とすることに抵抗を感じ、一部を会社の裏預金にしたのである。

岡野は、自分のことを表面に出さない性格の人物である。相場の動きを検討しておき、ほとんど会社外から仲買店に連絡し売買していたので被告会社では岡野が個人で定期取引をしていたことはだれも知らなかったのである。被告会社では修正申告の段階でも岡野の個人取引を知らなかったし、岡野の取引利益と考えていたので、修正申告に計上しなかったのである。

4. 倉田の検察官に対する供述によると、小口名義の取引は会社のものに間違いない旨の供述記載があることは確かである。

しかし、この時点における倉田の心境は、査察をうけたとはいえ、修正申告において、自らの判断で会社の所得と思われるものは全部申告し、税金も完納していたし、その後の査察では、主としてその帰属について問題のある小口名義の定期取引利益と手数料の戻り分と倉田個人の別名取引として起訴の対象にされなかった取引以外は問題のある所得として税務当局から指摘されたものはなく、しかもこれらの指摘に対してはひたすら恭順に徹し税務当局のいうがままに会社所得として計上し再修正申告したのであるから、検察当局の取調べにも事の真相とは別に一貫して同じ態度で臨み、一心に寛大な処分を願っていたのであった。また、後になって岡野が個人取引によって利益をあげていることが判明したが、岡野は修正申告によって税務処理を終了しているので、小口名義の取引利益が岡野のものであると主張することによって岡野に迷惑がかかることをおそれた。それ故、小口名義の取引の損益は被告会社に帰属すると述べたのである。

一方、捜査当局としては査察の結果修正申告に計上されたもの以外にさしたる目ぼしい所得が発見されていないので、せめて小口名義の取引利益は会社の所得と認めさせようとして取調べに当っていたであろうから、かかる供述を引出すのは極めて簡単なことであった。しかし、倉田としては心に引掛るものがあり、そのことが「将来、会社のために功績のあった岡野に譲ってやってもよいという考えのものである」旨の供述をしているのである。倉田は原審において、取引市場が拡大され活況を呈し商機が訪れて来たので長い間協力してくれた岡野にも儲けさせてやろうということで岡野にすすめた旨述べているが、これが真相である。

倉田が他人名義で取引しているものは、全て倉田の親類、知人の名前を使用しているのであり、それ以外の名義を用いた取引はしていない。これは、別名取引をするにあたっての倉田の性癖を物語っているのであり、倉田が岡野に定期取引をすすめるについて、岡野の妹の夫である小口好弘名を考えたとしても何ら不思議ではない。かかる点からも、この定期取引の利益は岡野のものであるとして取引したものと推認できるのである。

5. 岡野の検察官に対する供述調書にも、小口名義の取引利益が会社に帰属する旨の記載があるとしても、岡野自身にも申告洩れ所得があり修正申告をしていたことなどを考えると、この利益を自分の所得であったと主張することは極めて困難な事情にあったというべきであり、右の供述記載が原審公判廷における証言より信憑性があると認めるのには疑問がある。原判決は、「たしかに、小口好弘名義による本件取引を開始する当初において、岡野および被告人倉田らは、これが被告会社の簿外取引であるとの明確な認識意図のもとになされたか否か、やや明確でない点もあり、むしろ岡野自身においては、それを個人の取引としようとの内心の意思を有していたのではなかったかと疑わせる余地がある」としているが、これはむしろ当然の疑問であり、岡野に申告洩れ所得があったこと、倉田が岡野の税務処理後に問題が生ずることをかばおうとしたこと等の事情と取引開始の動機、取引に岡野の妹の夫名を使用しかつ一、〇〇〇万円相当の株券を妹名義で取得し保管まで依頼していたこと、被告会社に対する倉田や岡野の貢献度等を総合して原判決の疑問が単なる疑問にとどまるかどうか検討されたい。

二、雑収入勘定のうち、丸神商事株式会社を相手方とする委託手数料の戻り益の問題について

原判決は、この問題について倉田が現実に丸神商事から受領していた金額のみが被告会社の所得である旨認定している。原判決が右受領金額以外の丸神商事側にある金銭は被告会社の所得でないとした点は正当であるが、右被告会社の所得であるとした点については、その帰属主体に関する事実認定を誤ったものであって、これは倉田個人の所得と認定すべきものである。

1. 原判決が、丸神商事から受領していた金額を被告会社の所得と認定するにいたった判示事実の中には、むしろ倉田個人の所得と認定すべきではなかったとの疑問を抱かせる多くの事実が示されているので、これらの事実を指摘しながら、本弁護人の主張を明らかにする。

原判決が摘示しているところを列挙すると次のとおりである。

〈1〉 丸神商事の舟橋が穀物仲買業である同社を設立したのは「かねてから懇意であった被告人倉田の応援に負うところが多かった」が、被告会社の委託金額が多くなってきたところ、「被告人倉田から『多少のことは相談に乗ってくれんか、率は君に一任するから』と」、この種業者間において行われている委託手数料の一部返戻依頼をうけ倉田に対する恩義もあって、これを快く了承し、当初は、倉田の要求のある都度会社より支出して交付していたこと

〈2〉 委託金額が多くなってきてからは、舟橋は毎月末毎に委託手数料の四割相当程度を会社帳簿より支出して銀行の仮名普通預金口座に入金していたが、「この預金の存在を被告会社の誰れにも告げてはいなかった」こと

〈3〉 「倉田から要求がある都度これら預金口座より引出して被告人倉田或いはその指定をうけた者に交付されていた」こと

〈4〉 右の如くして支出された分は

昭和四四年中 九、五六九、〇四〇円

昭和四五年中 七、〇一〇、八八〇円

内訳 三月一三日 一、七六〇、八八〇円

五月一〇日 二、〇〇〇、〇〇〇円

七月一六日 一、一五〇、〇〇〇円

八月 五日 一〇〇、〇〇〇円

一〇月一一日 二、〇〇〇、〇〇〇円

昭和四六年中  二、〇〇〇、〇〇〇円(六月一九日)

で、舟橋が仮名の普通預金口座に入金した分よりも少ない金額であったこと

〈5〉 「この金員の授受がいわば、舟橋と被告人倉田の間で、密約の如くにして行なわれていた」こと

〈6〉 右〈5〉のように処理していた理由の一つは、「被告人倉田の個人的受取り分として扱うことにより、同人が自由な機密資金を確保できるという利益が存するからに外ならなかった」こと

〈7〉 「その受受の場における言葉のやりとりも『ちょっと金を貰えるやつを少しくれるか、なんぼくれるか』(記録二六四J参照)と言った具合のものであって、勿論両会社間において送金手続をとるか、支払通知をするといった形をとるものではなかった」こと

〈8〉 「舟橋自身もその預金の帰属につき複雑な心境であったと認められる(すなわち被告人倉田から金員の交付方の要求があれば預金を引出して渡すが、その要求がない限りこれを引渡すことを要しないのであり、万一被告人倉田が不在となる事態でも起これば、誰にも支払う必要のない性質の金であるという。)」こと

2. 原判決が摘示したこれらの事実に則して論述すると、先ず〈1〉の事実は倉田と舟橋は懇意であり、丸神商事の設立は倉田の応援に負うところが多く、倉田からの手数料戻しの依頼には、倉田に対する恩義もあって、快く了承したというのであり、倉田と舟橋との間のこのような了解事項の履行は、両者間で密約の如くにして倉田或いはその指定をうけた者に交付することによって行われていたのである。(〈5〉、〈3〉)

この金銭の授受が、被者会社の簿外利益の授受ならば、倉田と舟橋の二人だけで、両者間の恩義・義理合いを基礎として了解し、秘密裡に授受する必要は全くない。ただし、被告会社の簿外利益は、いわゆるB勘定として処理され右勘定はすべて岡野や経理担当の小林が把握するところであったから、倉田は岡野に対し舟橋への支払請求を指示していたであろうし、舟橋に対し岡野らから支払要求がなされていたはずであるのに、かかる事実は全くなく、またB勘定として処理されてもいないからである(弁護人の原審弁論要旨で詳述したところである)。

3. しかも、原判決は密約の如く履行していたことの理由の一つは、倉田の個人的受取り分として扱うことにより、自由な機密資金を確保できるという(〈6〉)。しかし、右金銭はまさに倉田個人の受取り分であり、個人的な分ではない。原判決は、「これを被告会社で公表扱いせず云々」と述べているが、もともと、「被告会社に対し前記委託手数料の割戻しをすることが取引所の内規に違反し禁止されている」のであるから、丸神商事としてはこれを独立した形で支出することは避けなければならなず、外務員に対する手数料等に混入するなど、カモフラージュして支出し、その中から別途保管していた。このように、この金員は被告会社がどのように処理するかという問題以前に、すでに公表に適さない性質の金銭だったのである。従って、原判決は、「被告会社で公表扱いとせず」と、あたかも被告会社の意図によって公表扱いとしなかったかのように述べているが、誤った見方であって、当初から裏勘定となるべきものであった。そして、裏勘定とされるべきものであれば、倉田の「個人的受取り分」であろうとなかろうと、必要に応じて機密資金となしうるから、自由な機密資金を確保できる利益を考慮する必要はなかったのである。原判決がいわんとするところは、手数料の返戻分は被告会社の裏勘定のうちの「個人的受取り分」と解すべきことになるであろうが、それは結局丸神商事からの個人の受取り分に他ならないのではなかろうか。これを、一旦会社に帰属してそれがさらに倉田に帰属するにいたるというようにとらえるとすれば、それは倉田と舟橋との関係、被告会社の実情、金銭の性質と使用目的等に照らし、実体から遊離した妥当性を欠く観念論というべきものである。

4. しかも、本件金銭は送金手続によらず、しかも支払通知さえなされていない。「ちょっと金を貰えるやつを少しくれるか、なんぼくれるか」といった具合に、極く簡単な気軽なやりとりで授受されている(〈7〉)。若し、これが丸神商事と被告会社間の取引きであれば、たとえそれが裏利益であっても少くとも最少限度支払通知位はなされるのが常であろう。そうでもしなければ、B勘定として保管するにしても、被告会社では会社として何ら証憑を入手することができないから、裏勘定さえも正確に捕捉して管理してきた被告会社の事務処理が混乱することになるからである。本件手数料戻りの処理は、全く倉田のメモや記憶に依る以外に明瞭にできない状態のまま被告会社の関知しないところで倉田個人のもとで計算され授受が行われていたのであって、この点からも、倉田個人の所得とすべきものであった。

5. 「舟橋自身がその預金の帰属につき複雑な心境にあった」(〈8〉)のは、倉田との密約で、舟橋は「この預金の存在を被告会社の誰れにも告げていなかった」(〈2〉)のであるから当然のことというべきである。舟橋が、「万一被告人倉田が不在となる事態でも起これば、誰にも支払う必要のない性質の金である」(〈8〉)と思っていたのは、舟橋の管理下の預金はもちろんのこと、この預金(それ以前のも含む)からすでに支払われた分も、全て被告会社とは全く関係ない金銭の授受関係であると認識していたからにほかならない。

6. 原判決は、手数料の戻し分の算出料率が一定していることにとらわれて、かかる金銭授受の「実態は本来の商取引における取引量に応じて一定の割合による額を返戻し或いは割り引く、いわゆるリベートと同一のものであったと認めることができる。」と認定しているが、原審において舟橋が証言しているように、倉田の委託により得た取引手数料収入の中から、謝礼としてどの程度還元すべきかというように、割合によって還元分も考慮するのが通常であろう。しかも、被告会社の他の取引所における取引では、丸神商事に支払う手数料の六〇%の支払で済んでいるのであり、舟橋はそのことを知っていたのであるから手数料の四〇%分は最初から収入がなかったものとして恩義のある倉田に支払うについては、何ら抵抗がなかったのであるから、舟橋が証言において強調しているように、手数料の割戻しという認識ではなく、利益を還元するのに、手数料に対する割合をもって算出したというのが真相である。商売というのは、相互の利益をはかることを契機として相互信頼と商道が確立され、それが誘因となってさらに多くの取引が行なわれることになり、この繰り返しによって相互のより大きな利益に発展する特質を有しているのである。舟橋はこのようなことを心得ていたから、倉田の信用を得て今日まで発展してきていることを看過してはならない。

原判決は、「このような商取引によるリベート受領が個人に帰属すると認めねばならない特別の事情が認められない限り、原則として本来の取引当事者に帰属するものというべきである。」として「特別の事情」の存在を否定した。本件は、原判決のいう本来の商取引におけるリベートでないと思料するが、かりに、そのようなリベートであるとしても、これまで詳述してきた事実関係のもとでは、原判決のいわゆる「特別の事情」が認められるものと確信するものである。

以上述べた如く、手数料の現実の戻り益分は倉田個人の所得と認定すべきであるのに、原判決は事実を誤認しているのである。

三、準備金勘定について逋脱の犯意を認定した事実の誤認について

原判決は、最高裁判所の見解を相当としているが、これについては、本弁護人が原審弁論要旨第三において述べたところを援用するものである。

第二、原判決は刑の量定が不当であるから破棄さるべきである。本弁護人は、刑の量定に影響を及ぼすと思料する情状を以下に述べ、特に被告人倉田については、罰金刑をもって処罰せられることを上申するものである。

原判決は、量刑事情として〈1〉査察部調査が開始される以前に自らの手で修正申告をし、しかも、修正申告記載の所得額は、原審で事実認定の争点となったもの以外、逋脱所得の大部分で、税額は納付されたので、一般刑法犯における自首乃至首服に準じた評価をうけるに等しいこと〈2〉査察調査後税務当局の示唆した数額をそのまま再修正申告し、納税していること〈3〉所得隠ぺい手段等は、この種事犯に比べて必ずしも悪質でないこと〈4〉倉田は高齢であり長い生涯何の汚点もなく過されたと認められることの四点を特に考慮した旨判示され斟酌いただいたのであるが、原判決が考慮された点と重複する点もあるが、当審において一層の酌量を願いたい点を以下に述べ、ご検討いただきたい。

一、修正申告及び再修正申告について

原判決が、本件修正申告は、査察調査の前になされ、しかも本件で争点となった所得以外の大部分を申告納税したもので、一般刑事犯の自首乃至首服に準ずるものと評価している点は正当な評価というべきであるが、かかる修正申告の事実については、より一層斟酌さるべきではないかと思料する。

それは本件修正申告には、次のような酌量すべき事情があるからである。

(1) 修正申告の資料は、税務調査以前の昭和四七年四月一日にすでに被告会社顧問税理士白鳥駒成氏の手許に提出されていたこと

(2) 修正申告は、本件でその帰属が争点となった所得以外の大部分についてなし、その余は、青色申告の取消による損金勘定の否認分と、計算誤謬による申告洩れ以外になかったこと

(3) 右修正申告は申告不足額が発見されていない段階で自主的になされたものであり、従って更正を予知してなされたものとはいいがたく、過少申告加算税賦課の対象とすることさえ不可能と思われること

(4) 修正申告制度の趣旨目的に照らし、自発的に適正に修正申告をし国の租税債権の侵害を自らの手で回復した者に刑罰をもって臨むのは、この制度の趣旨を没却し、本件の如き内容の修正申告をした者には、適正な修正申告行為に刑罰をもって臨むのに等しい結果をもたらすものであること、従って刑の量定は査察調査後に再修正申告した所得のうち、公訴提起されかつ被告会社の帰属と認定する脱洩額についてされるべきこと

二、再修正申告について

再修正申告では、修正申告の段階でその所得の帰属が被告会社のものではないと信じていた所得についてまで税務当局の見解に従ってことごとく申告、納税しており、従って、当然のことながら、査察調査の段階でも、他に隠蔽所得は発見されなかった。被告会社及倉田の修正申告から再修正申告にいたるまでの過少申告したことに対するこのような深い反省に基づく租税債権の侵害回復への真面目な態度は、査察後新たに隠し所得が発見されるといったこの種事犯にありがちなケースとは異り、その情状において高く評価さるべきであること

三、被告会社の所得留保の必要性と利益公表への努力について

(1) 本件定期取引の利益は、損失の危険性が大なるもので、その性質上定期取引市場に常時参加している者にとっては、いわば暫定所得と考えられているところ、雑豆輸入を営む被告会社としては、定期取引も業務の一環として必要不可欠のものであったから利益については変動が激しい点を重視して益金繰延べという感覚のもとに利益を留保し、長期的に調整して申告すべき業務上の必要性が大きかった。そえ故、被告会社の留保所得の自主調整への努力に対する配慮を抜きにして、申告期限時の過少申告だけをとらえて刑を量定すべきではないこと

(2) そして、裏利益公表への努力は、終局的にはすべて公表することを前提として留保所得を自主調整していたが(北海道・神戸に実例がある)、たまたま、昭和四五年二月及び同四六年九月の二大商機に巨利を博し、公表の方途に窮し申告期を徒過したため脱洩額が増大したのであり、いわば突然変異的な要素が加わっていること

四、その他の情状

(1) 本件事犯は、見込みによる査察調査の失敗から告発するにあたって税務当局内部に賛否両論があったように灰聞する。厳密に堀下げれば、税務行政上は告発して処罰すべき事案でなかったと思われるが、当時の社会経済情勢のもとにおいて投機市場に警告を与える意味合いから、一罰百戒を目的として、政策的に告発ないし訴追がなされたとの感を禁じ得ない。かかる政策的配慮は場合によっては必要なものであろうが、本件の実態を深く検討するとき、特に倉田に対してはあまりにも厳しいものと考える。

(2) 近時、所得の性質において、確定的でその利益を運転資金として業務遂行する必要の全くない不変動所得の逋脱事犯について、罰金刑をもって処断した事犯が報ぜられた。他に種々の事情があったにせよ、これと対比するとき、本件はたとえ執行猶予が付されているとはいえ懲役刑をもって臨むのは倉田にとって重きに失すると思料する。

(3) 原判決でも述べているように、倉田は、これまで八〇年間の長い生涯汚点もなく過し、日本の経済の発展にもいささか貢献してきたものと自負している。自らの経済活動によって獲得した利益を罰金として国家に納付し罪の償いをするについては如何なる厳罰をも甘受する覚悟であり少しも悔いはない。余生の少なくなった倉田のこの切なる願いに対し法の恩情を期待し、切望してやまないものである。

以上

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